あのスペースワールドで、ヴィッキーの愛を永遠に感じていたかったーー。【長文インタビュー】

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スペースワールド」が、2017年に12月末に閉園することを発表。
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インターネットに並ぶ、無機質な黒文字。余命宣告のように、残酷で絶対的な告知文章。

 

脳髄を撃ち抜くようなそのニュースは、多くの遊園地ファンに衝撃を与えました。そして、
「オープンを覚えてくれているすべての人、27年間1度でも遊びに来てくれた人、すべての人にもう1度来て欲しい」
という言葉とともに送られたCMは、日本中を感傷の渦に包みました。

 

 

そんなスペースワールドの閉園騒動から2年ーー。あっという間に月日は流れ、今日この頃では、"かつての思い出"として語られ始めています。

 

そこで今回は、改めてスペースワールドについて振り返るべく、当園の熱狂的なファンである35000¥さん(@35000en)にインタビューを行いました。あの頃の雰囲気や、当時のスペースワールドの魅力を少しでも感じ取っていただけたらと思います。

 

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ー本日はよろしくお願いします。35000¥さんは、自他共に認めるスペースワールド好きとして有名ですね。

 

よろしくお願いします。そうなんですかね(笑)
閉園から丸2年が経ちますが、今でも最も好きな遊園地はスペースワールドです。

 

ー35000¥さんは、日本全国の遊園地はもちろん、海外の遊園地にもよく来訪されていますね。そんななかでも、スペースワールドが一番だと。

 

はい。やはり私にとってスペースワールドは、あまりに印象深い場所でしたね。

 

もちろん、今はもう手の届かない場所だからこそ、余計に愛が強くなっているという自覚もあるのですが(笑)
それでも、末永くファンであり続けたいと思っている遊園地です。

 

ー閉園年である2017年には、何度も何度も入園されたと聞いています。

 

あのときの私は、スペースワールドに足を踏み入れることに必死でしたね。

 

2017年は世間では"何もなかった年"と言われていますが、私にとっては激動の1年です。関東に住んでいながら幾度となくスペースワールドを訪れましたし、使う金額の上限すら定めずにグッズを買い漁りました。完全にスペースワールドの亡霊でしたね。

 

華やかな絶叫マシンの鉄骨や、エネルギーに満ちたジェットコースターの走行を見上げては「これが本当に消失してしまうのか」という想いが込み上げてきて……。
「一部の施設だけでも存続してくれれば……」という奇跡を祈り続けていました。

 

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全身全霊のダンスに衝撃!
35000¥さんが、スペースワールドに魅せられるまで


ーしかし、とりわけ2010年代以降のスペースワールドは閑散としていたと聞いています。実際のところ、園内は寂しい印象だったのでしょうか。

 

それについては、強く否定することができませんね。

 
閉園年こそ盛況となりましたが、2000年以降は全盛期に比べ、来園者が少なかったことは明白でしょう。人気のジェットコースターでさえ10分待ちが通常であり、園内は閑散としていましたね。

 

ー以前35000¥さんが、「地面なども割れていた……」とお話していましたね。

 

そうですね。
ひび割れた地面。錆や汚れの目立つ造形物。残されたままの閉鎖施設。それに来園者数の少なさも相まって、どうしても寂れた印象は感じてしまいました。

 

TDRUSJの台頭や娯楽の多様化により、地方遊園地からは人が遠のき、灰色の時代を余儀なくされていましたからね。

 

ー初入園は2014年とのことで、当時は大学生だったそうですね。そのときは、あまり期待していなかったのでしょうか。

 

九州までインターンに来ていた私は、その休日を利用してスペースワールドを訪れました。
ジェットコースターのファンだった私は、「タイタンV」「ザターン」「ヴィーナスGP」の3機種を中心に攻略し、さて帰宅をしようと。

 

そのため、当初の段階で印象的だったのは、主に絶叫マシンなんですよね。マニアたちが高く評価している大型コースターに乗車できた満足感もありましたし、こうしたスリル性の観点では、富士急やナガシマに次ぐ感触があった。

 

しかし、遊園地自体の雰囲気としては、特に深くを感じさせるものはなかったんですよね。テーマパークの観点においては今一歩。そんな判定を下して、退園ゲートに向かおうとしたんです。

 

その瞬間、軽やかな音楽が耳元を掠めました。ショーが上演されていたんですね。私は自然とそちらの方向へと吸い寄せられました。

 

ーそれが、スペースワールドへの見方が変えるきっかけになるわけですね。

 

そうなんです。
私が見たのは、スペースワールドのマスコットキャラクター"ラッキー"と"ヴィッキー"がダンスを踊るシーンだったのですが、それはあまりにも圧巻で、鮮明なインパクトを残しました。

 

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ー具体的には、どのような点が印象的だったのでしょうか。

 

もうね、本当に全力だったんですよ。
観客はわずか数人で、座席もガラガラ。そんな状態なのに、彼等のダンスはまさしく全身全霊なんです。

 

手足の先まで神経が通っているのではないかと思うほどダイナミックで、着ぐるみのキャラクターが側転までしてみせる。そんな躍動的なダンスに爆音の音楽を合わせながら、空席だらけの観客席に対して、それはもうできる限りの力を振り絞っているんです。

 

もちろん、つたない部分を指摘することは簡単だったのかもしれません。それでも、確かにそのショーは美しくて、私の心を魅了した。

 

私はそれを初めて見たとき、その面白さに衝撃を受けるとともに、何かを訴えられた気がしたんです。たとえ、数少ない観客だとしても。先の明るくない経営状況だとしても。スペースワールドは苦難の状況にあったのかもしれませんが、来園者を笑顔にさせる一心において、非常に強い信念を抱いていたと思います。

 

他の人がどう感じたのかはわかりません。でも、まちがいなくそれは最高のショーで、私は感動して、泣いてしまいそうになりました。

 

スペースワールドへの意識が変わったのは、そのショーがきっかけだったのですね。

 

そうですね。少なくとも、あのショーをきっかけに、私はスペースワールドの切実な姿勢が見て取れるようになったのです。

 

たとえば、園内には多くのBGMが流れており、地方遊園地としては、オリジナルソングの曲数が非常に多い部類だったと思います。スペースワールドは手作りの姿勢を尊重していたんですね。どの曲も、いまだに口ずさんでしまうほど軽快なのですが、定期的にアップデートをしていた点も素晴らしいです。

 

また、アトラクションはストーリーが設定されていてるものが多く、ライト、造形物の演出効果やBGM、スタッフの方々の言葉にもこだわりを感じることが多くありました。

 

このように、曲や演出という点からも、我々に対して何かを訴えかけていることがわかります。それは、他のどこでもなく、"スペースワールドを体験させたい"という強い意思なんですよね。

 

スペースワールドは、やはり来園者数や敷地面積などのデータから、国内の最大手パークと呼べるような状況ではありませんでした。それでも彼等は、テーマを魅せる、ストーリーを魅せる、あるひとつの空間を体感させる……。こうした「遊園地を作り上げる者」としての大切なマインドを、できる限り崩さないように奮闘していたと思います。

 

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ヴィッキーはヴィッキーだった! 
衝撃を受けたレストランでの出来事

 

スペースワールドに熱中するきっかけとして、他に何か大きなエピソードはありますか。

 

あります。ある日、キャラクターとグリーティングができるレストランに行ったんですよ。

 

そうして食事をしているとヴィッキーが出てきて、テーブルの近くまで会いに来てくれたんです。

 

そして、今なら本当に申し訳ないことなのですが、あのとき私は、咄嗟にこんなことを漏らしてしまったのです。
「ありがとう。いつもショー見てるよ、ちょっとここでも踊ってみてよ」
って。

 

どうしてそんな言葉が出てしまったのか……。今でも不思議に思いますが、脊髄反射のようなものだったかもしれません。

 

ー面白いですね。

 

そして、私はその言葉を漏らした瞬間、「このヴィッキーが踊ることは難しいだろう」と思ってしまったのです。

 

ショーの場でのヴィッキーの踊りは、本当に美しく、滑らかなんですね。しかし、こういう言い方はよくないですが、ショーの中の人とグリーティングの中の人は別人でしょう。あんなに洗練された踊りを、今目の前にいるヴィッキーが演じることは不可能だろうって思ったんです。

 

ーそう考えるのが妥当ですよね。

 

それなのに、私の言葉を聞くや否や、ヴィッキーはまるで笑ったような素振りを見せて。次の瞬間には、あのいつものような、手足の先まで綺麗に整ったダンスを踊り出したんですよ。私のためだけに、全力で、力強く。まるで時が止まったかのようでした。

 

そしてその姿から、これこそがエンターテイメントだ、という心意気を感じずにはいられませんでした。そして、なによりも「ヴィッキーはヴィッキーだったんだ!」という感情が強く湧いたんですよね。

 

おそらくスペースワールドでは、週5日のショーもグリーティングも、ほとんど同じ人が中身を担当していたのでしょう。
どこで見かけるヴィッキーも、正真正銘同一のヴィッキーで、そのときに私はより深くヴィッキーと繋がれたような気がしたんです。

 

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35000¥さんが好む「ジェットコースター」についても、何か印象的な点はあるのでしょうか。

 

ショーに衝撃を受けたあとに着眼するようになった部分ではありますが、
通常はスリルを体感させることに留まりがちな大型コースターにも、ストーリーを持たせていた点は魅力的でしたね。くわえて、スタッフの方々のセリフ・動きやマイクパフォーマンス、座席を自由に選べるシステムなども、非常に満足度が高かったと思います。

 

また、最近は安全面への規制が厳しくなっているじゃないですか。だからこそ、ジェットコースターについては、多くの遊園地が「乗車中は安全バーにおつかまりください」と案内をするんですよ。

 

しかし、スペースワールドは違いました。名物となっていた時速130kmを誇るジェットコースターですら、「このジェットコースターは(園内の3大コースターの中では)1番怖くありません! 余裕がある人は手を離してみましょう!」とか「何度も乗ってる方は、足をクロスして、腕を下に伸ばして乗ってみてください!」って言うんです。

 

もちろん他の遊園地を批判しているわけでもなく、スペースワールドが安全に考慮していなかったというわけでもありませんよ。

 

ーなるほど。

 

全力でメンテナンスも行いながら、少しでも来園者を笑顔にするためにはどうすればよいか。どのような工夫をすれば、1人でも多くの人が楽しめるか。こうした点において、スペースワールドは少しの妥協すら許さなかった。これは、地方遊園地でありながら、アトラクションごとに別々の制服を用意していたことからも明らかです。

 

強く気高く、戦い抜くこと。
人気アトラクションですらほとんど待たずに乗れる閑散状態にありながら、このような姿勢を貫いたスペースワールドから、強い覚悟と気品を感じずにはいられません。

 

ご存知のとおり、スペースワールドは地元の方々に深く愛された遊園地でしたが、それは、どこまでの真摯な姿勢の賜物であったと思いますね。

 

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ーなるほど。たしかに、福岡の人にとってスペースワールドは非常に近しい存在だったとよく聞きますね。

 

はい。地元の方によれば、ローカルテレビでは、スペースワールドのキャラクターたちが登場する番組もやっていたそうですね。

 

多くの子供にとって、ラッキーやヴィッキーは馴染み深い存在で、スペースワールドのオリジナルソングも自然と耳に入ってくる。九州出身の友人は「ラッキー体操は口ずさめるし、なんなら踊れるかも!」なんて言っていましたね。


彼らにとって、スペースワールドは常に日常と隣り合わせの存在だったようです。本当に地域に根差した遊園地だったのでしょうね。

 

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閉園から2年。
いまもなお鮮明に残る、あの頃の想い

 

ー最後に、閉園間近となった頃のご心境について、お伺いしたく思っています。

 

それはもう、センシティブな心持ちになったことを覚えています。

 

スペースワールドの象徴ともなるロケットには、「閉園まで残り○日」というカウントダウンが表示されていたんですよ。

 

その光文字が映ったロケットは、あまりに美しく、それでいて残酷でした。
ジェットコースターに、躍動感に満ちたショー。そしてスタッフの方々の明るい声は、どれも"動"的なものでしたから。わずか数日後には、それが一切の機能を喪失して、完全な無へと帰結してしまうんです。それを想像するのは、あまりに心痛い。たとえ417光年離れた星に移転するのだと分かっていても、ね。

 

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ーなるほど。

 

けれど、期限の定められたアトラクションは、どれも貴重で、かけがえのない経験だったことも事実ですね。楽しさと悲しさが同居して、すべての瞬間を惜しむように、1秒1秒を噛み締めていたと思います。

 

ー最終日については、どのような想いでいらっしゃいましたか。

 

晴れることを前日から願っていましたね。雨もなく、風もなく。運休することなく、すべてが華やかに終わってほしかった。

 

もちろん、私自身が乗車したいという感情もありましたが、平静に、正当に。美しい状況でこそ、ファンに見守られてその役割を終えてほしい。そんな感情が強くありました。

 

実際のところ、当日の朝は雨が降り、花火のときは風が吹いてしまったのですが、すべてのイベントを遂行していただいたので、最高の最終日になったのではないかと思います。

 

ー最終日は、ヴィーナスの花火も印象的でしたね。

 

 

幻想的で幻想的で。自分は本当に生きているのか?と(笑)
この世の終わりみたいだなぁと、呆然としながら眺めていました。

 

12月30日からは涙を流しっぱなしでしたね。終わってしまう、という事実だけが音を立てて迫ってきて。それなのにスペースワールドはどこまでも優しくて。

 

ー35000¥さんのような心境の方は多かったと聞きます。本当に愛されていたのですね。

 

そうですね。
最終日のタイタンMAXでは、スタッフの方が、
「最終日の本日に、愛していたタイタンを担当させていただけて光栄です」
と挨拶をしてから、案内を始めるんですよ。涙ぐみながら、全力の笑顔で「行ってらっしゃい」と言ってくれたときには、ジェットコースターの巻き上げ中に大泣きをしましたね。

 

スペースワールドは、その片隅までがスタッフの愛で溢れていました。スペースワールドで育ち、スペースワールド愛する人が、スペースワールドを動かしていく。愛の循環で生まれた空間、そんなことを感じずにはいられませんでしたね。

 

さまざまな歴史とともに作り上げてきた幸福な場所。それを最後の最後まで体験させていただけて、感謝の思いで一杯でした。

 

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ー今でも、スペースワールドについて語るときの35000¥さんの瞳は輝いていらっしゃいますよね。本日は色々とお話しくださり、ありがとうございました。

 

いえいえ。私は初入園が2014年でしたので、もっと愛の深い方はたくさんいらっしゃると思うと、恥ずかしい限りです(笑)

 

それでも、私はまだまだスペースワールドの亡霊ですので。こうして話すことで、少しでも成仏ができますよ(笑)  こちらこそありがとうございました。

 

 

ということで、今回は35000¥さんにインタビューを行いました。つくづく遊園地というのは色々な愛が生まれる場所ですね。断片的に語っていただいた思い出からでも、スペースワールドの温かさを垣間見ることができます。

 

多くの地方遊園地は今後も斜陽になるかと思いますが、それでも、どうか強く。戦い抜いてほしいと切に願います。

 

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