あのサンドルが消えていく

乗れば乗るほど喪失します。あなたはどれだけ乗りましたか? どれだけ喪失しましたか? 1つ知るたびに、何かが削られていくのです。



子供のころから、ジェットコースターのもつ魔性の魅力に心を奪われていた。あの奇抜で挑発的なフォルムはとても美しいでしょう? そのうえ、あんなにクネクネした鉄骨の上を猛スピードで駆け抜けるなんて、胸を躍らせずにはいられない。この感覚、わかりますよね?


で、幼い頃の僕は、はやくもこのジェットコースターの魅力に取り憑かれてしまったのである。インターネットサイトや旅行雑誌のコースター写真を見ては心をときめかせ、あぁ、この部分ではどれぐらい内臓が浮くのだろうか、この部分ではどれぐらい圧力を受けるのだろうかと、勝手に夢想して楽しんでいた。


あくまでも「夢想」が中心だったのは、実際に乗りに行けるだけの機会が訪れなかったからだ。


遊園地というのは、夢を売るだけのことはあって、値段の高い施設である。当然ひとりの小学生が足繁く通える場所ではないし、親の援助も必要となる。残念ながら僕の両親は、宗教に通う文化こそあったけれど、遊園地を楽しむなんて文化はなかった。それどころか、低俗でくだらないものだから行きません、あなたは本を読みなさい、ボードレールを読みなさい、というような風当たりだったのだ。

 

こうした状況から遊園地に通えなかった僕は、幼少の頃に一度だけ乗ったディズニーコースターの乗り味をたよりに、大型コースターの感覚を想像するしかなかった。もちろん富士急やナガシマなんてのは、夢のまた夢。当時の僕にとっては果てしなく遠い場所であり、淡い憧憬であり、リアリティの伴わない存在だったように思う。

 

媒体を通して目にする情報の断片こそが、僕にとってのジェットコースターだった。


 

そんな僕に、大型コースターに乗車する機会が訪れたのは小学5年のころ。成績もよかったから、テニスの大会も勝ち残ったから、後楽園に行かせてください、サンダードルフィンという爽やかで滑らかな鉄骨に乗らせてください、と母に頼み込んだことが契機である。

 

母はとくに理由もないのに反対気味だったが、僕は「行かせてくれなきゃ死にます」などと言って駄々をこねた。結果的に僕の決死の思いが伝わったのか、過度な執着心を面倒に思ったのか、母は引きつった顔を浮かべながらも、「はやめに帰ってくるのよ」と交通費とチケット代を渡してくれたのである。僕のサンドルデビューが決定した瞬間だ。


当日の僕ときたら、お金を握りしめながら、不自然なぐらい口角の上がった笑顔と異様に軽快なステップワークで、水道橋に向かった。息を切らしながら階段を駆け上がり、あぁこんなにも幸せな日があるのか、写真で見たあの美しい鉄骨を走る日が来るのかと胸を高鳴らせ、今日がいつまでも続けばいいな、それでもやっぱりあの落下は怖そうだな、などといろいろな感情を錯綜させて、サンダードルフィンに乗った。

 

 

結論からいえば、すばらしかった。すべてのモーションが衝撃、痛快。大麻を摂取した人間は、わずかな刺激ですらも敏感に感じられるという話を聞いたことがあるけれど、あのときのサンドルはそれに近かったと思う。

 

屋根上のちょっとしたサーフィン部分ですら十分な乗り応えがあったし、ファーストドロップに至っては大麻というよりヘロイン? 僕がそれまでの人生で体感した快感、または不快感の絶対値を遥かに上回るほどの激烈さが、そこにはあった。そして、その感覚は明確な「色」を持っていて、学校だとか受験戦争だとか、勝利だとか、そういったことに奮闘している僕の日常は、なんて無色なのだろうと思った。絶対的な「有」の前には、あらゆる出来事が無機質に感じられてしまうものだ。既存の常識やロジックを、まるで暴力的に破壊するかのような過激さに心を打たれて、僕はいっそうジェットコースターの虜になったのである。

 

 

それから長い年月が過ぎて、後楽園からはリニアゲイルが撤去され、タワーハッカーが撤去された。僕は大人になって、金や自由を手に入れた。

 

今の僕は、勤務先から15分足らずで後楽園に行くことができる。母に訴えなくても、ジェットコースターに乗れる。富士急やナガシマだって、簡単に行ける。

 

僕は、子供の頃に憧れていた米国のパークにさえ足を踏み入れて、ibox、B&Mギガ、インタミンギガ、GCIなどといった、一流機の感触を知った。乗車機数も300機程度となり、幅広いコースターの乗り味を知った。おそらく僕は、正真正銘の「ジェットコースター乗り」になれたのだと思う。

 

しかしふと、かつてのあの瞬間を、サンドルを享楽した幼き自分を、羨ましく思うことがある。子供の頃に、やっとの思いで乗ったあの「1回」は、今の「1回」と大きく異なる。あの頃の体験は、今よりももっと輝いていて、尊くて、神聖なものだった。幻想や空想にすら近い体験であり、リアリティを超越した心地があったように思う。

 

最近でも、後楽園にはよく行くけれど、かつては聳えて見えたサンドルの鉄骨が、物足りない高さに感じられるようになったのは、いつからだろう。心臓が弾けそうなほどに高揚して並んだキューラインも、その開放感に胸を衝かれたあの座席も、憧憬の対象となっていたレールも、あの頃のような光彩を放ってはくれない。僕の元に残ったのは、ひどく現実的な鉄骨の風景と味気のない乗車感だけだ。

 

時を経て経験を積むごとに、あらゆるモノが喪失してしまったと思う。僕は「ジェットコースター乗り」になった反面、「ジェットコースターの夢想家」で在り続けることはできなかった。
 

すべての要素において異次元の感触を抱いた「あの」サンドルを、僕はもう二度と味わえないのだろう。サンドルのキューラインに並ぶ少年の表情に、隠しきれない高揚感が浮かぶとき、そこにかつての自分を見出すのである。

 

 

 

本来、ジェットコースターとは重力や浮遊感といった体感のみを甘味するものではない。

 

「この乗り物は、さぞかし尋常ではないのだろう」といった乗車前の想像性や、落下前の緊張感までを含めて乗車体験であり、非マニアの乗車感覚は、こうした精神的な要素と体感的な要素を統括することで成り立っている。

 

さしずめ重要なのは、"空想の余地"である。高い場所から落ちてしまう、身体が回ってしまうがゆえに、「恐らく"やばい”ものなのであろう」という無邪気な空想を、どれだけ持ち続けられるか。

 

僕はsteel vengeanceに乗り、fury 325に乗り、X2にだって、intimidator 305にだって、millennium forceにだって乗った。高さ100mの現実性を、時速200kmの現実性を獲得し、「やばさ」の果てを知った。こうして、"空想"という行為の試みが難しくなったいま、僕はただ速度と重力を実感するのみに留まった、"レビュアー"としての乗車感しか、体験することができない。既知の乗り味を咀嚼することしか、できないのである。

 

あのサンドルが、どこまでも快感だったのは、「初乗車だったから」というだけの理由ではない。乗車に辿り着くまでの過程や、本当に80mから落ちるのかという恐怖。異次元の速度感。未知の感覚との遭遇。こうした要素が絡み合って生まれた1回であり、それは"現実"の向こう側にあるものだったのだ。大型コースターの刺激が、僕の日常性の一部となった今、かつてのような、"非現実"の感触を享受することはできないのかもしれない。

 

 

ジェットコースターの製作技術は、日々進化を遂げている。僕の原体験となったあのサンドルが消失しても、次なる最新機がふたたび高揚感を与えてくれるのだろう。もちろん僕は、そう信じている。けれど、それもいつまで上手くいくのだろう。

 

来年のフロリダには、steel vengeanceを超える、最大スペックのRMCiboxが完成するようだ。確かに期待感はあるし、魅力的なコースターなのだろうとは思う。しかし、果たしてそれは劇的なのか。既存の概念を、空虚な現実性を、固定化した価値観を破壊し得るものなのかと疑問になる。所詮はvengeanceにtwisted timbers、lightning rodに白鯨なんていう、僕が乗車したRMC上位層の感触と、大差がないのではなかろうか。そう思えてならないのだ。

 

僕は一体あと何度、脳髄が打ち砕かれるような圧巻の衝撃を体験できるのだろうか。両手の指で数えられるほど、それがあるのだろうか。

 

 

ジェットコースターという趣味は、「あれはさぞかしすごいものなのだろう」という夢想を、現実の感触で溶かしていく試みだ。乗れば乗るほど、「果て」を知る。その後は熟知した「果て」を、どれだけ何度も賞味できるかにかかっている。噛みに噛んだガムを、僕はいつまで味わえるのだろう。いつまでも味わっていたいと、切に願っている。

 

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